ひとり言 12月3日 日本とカナダの違い 3つの不思議

私のホームペーの中の「ひとり言」はパソコンの環境により、しばらく更新できません。そこで、ブログ「風のたよりfrom バンクーバー」上に載せることにしました。テーマが、バンクーバーから外れることもありますが、ご覧戴ければ幸いです。

通算約6ヶ月をカナダで暮してみて、日常生活の中でいくつか、カナダと日本の違いに気が付いた。その中で、どうしても気にかかること、どうしてもわからないことが3つある。

まず1つ目、日本ではだいぶ以前からウォシュレットが普及しているのに、カナダではホテルでもアパートでも、ウォシュレットを見たことない。それはヨーロッパのホテルでも感じたことだ。
日本人向けのフリーペーパーや雑誌には広告が載っているのだが、どうしてあんな「優れもの」が普及しないのだろう。ある日入浴しながら、考えてみた。
バンクーバーのアパートの浴室は欧米型で、1つの空間にトイレ・洗面所・浴槽がある。
日本では浴室とトイレは互いに独立していることが多い。浴室も浴槽と洗い場があり、省エネのためか、普通1人づつお湯を換えることはしない。

欧米型は、浴室には浴槽があっても洗い場はなく、浴槽のお湯は1人づつ入れ替える。
カナダでは、浴室・トイレ・洗面所の空間全体を“Wash room” と言う。排泄・洗面・入浴は全部“Wash”だと考えているようだ。マーケットにトイレットペーパーを買いに行くと“Wash room tissue”として売っている。どうもこのあたりにウォシュレットが普及していない理由がありそうだ。カナダでは1回づつお湯を取りかえれるので、自分が入浴し終わった後のお湯をきれいに保つ必要がない。だからWash roomは人間の体全体を清潔にする部屋であるので、わざわざ部分的に体を洗うウォシュレットが必要ないと考えるのかもしれない。でもウォシュレットは資源の乏しい日本で、清潔好きの日本人が考えた「優れもの」であることは間違いない。
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2つ目、日本ではお母さん達が、ヘルメットや帽子も被らせないで、自転車の前や後に子供や幼児を乗せているのをよく見かける。カナダで暮らす前から、そんな光景を見るたびに不安に思っていた。それも前と後、同時に2人も乗せている人もいる。何か起きれば大変なことになるのは容易に想像がつく。
バンクーバーでは、2人乗りの自転車はあるが、子供との相乗りは見たことがない。自転車に乗るときは、子供も大人もヘルメットを被っている。なぜ、日本のお母さんは、子供の頭を守ろうとしないのか不思議でならない。自転車に乗っている本人は、とっさの時、ある程度反射的に自分の身を守れるが、乗せられている子供は自分で身を守れないで、無防備な状態で放り出されるだろう。想像しただけでも恐くなる。
日本人とカナダ人のリスクについての考え方の違いなのだろうか。日本人は「自分にだけは、何事も起こらないだろう」と根拠もなく考え、何年も子供を乗せて自転車に乗っているが、何も起きないのだから大丈夫と思うのかもしれない。それに比べてカナダの人は、万が一の確率であっても、リスクがある以上、それを回避・軽減する方法をとるのが当然と考えるのだろう。資産運用や災害だけでなく、そんな日常的なところにも、日本とカナダではリスクに対する考え方の違いがあるのかもしれない。
最近日本でもたまに、自転車に乗せる子供にヘルメットを被らせているのを見ると、少しほっとする。「転ばぬ先の杖」と同じように「転ばぬ先のヘルメット」が必要だ。

3つ目、バンクーバーの台所で、新しく買ったお鍋の蓋に小さな穴があけられていることに気がついこと気が付いた。それは大きさや材質(ガラスでもステンレス)、高級品でも安物でも、バンクーバーで買ったお鍋には小さな穴があけられている。日本の家にあるお鍋には、確か穴が開いていなかったと思ったが、日本に戻ってすぐ調べてみると、やはりどのお鍋の蓋にも穴が無かった。色々考えてみても、未だにその理由が思いつかないでいる。
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# by amtask | 2006-12-03 10:59 | ◎ ひとり言 | Comments(5)

晩秋の上野公園

日本滞在も予定の半分が過ぎてしまった。バンクーバーの紅葉は日本に来る前に堪能してきたが、日本の秋も味わいたい。寒い冬がくる前に、紅葉を見に上野に行こう!それにその日は絶好の小春日和。
午後の上野公園は、秋の穏やかな陽を浴びて紅葉を楽しむ制服姿の修学旅行生の集団や、カメラを手にした中高年の人々で賑やかだった。
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黄色い葉に混ざって赤い紅葉もきれい。また散ってしまった紅葉も日本の秋の風情を醸し出している。明るい空に枝を広げる紅葉はひときわ鮮やかに見える。
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しばらく歩くと、東照宮にさしかかった。上野は何度も来ているが、東照宮があるとは知らなかった。その入り口には、子供の頃を思い出すような駄菓子屋さんがあった。五重の塔も紅葉が少なくなった木々の間から見ることができた。
そこを出て、忍の池に向かってあるいて行くと、下町風俗資料館があった。赤いポストが何ともレトロな感じで、寄席もある。
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久しぶりの上野だった。少し日本の秋に触れた気がした。
実はその日、実家の母の祥月命日だった。鶯谷駅近くの墓地を出ると東京国立博物館の裏門がある。上野公園はすぐ近く、紅葉を見る前にお参りを済ませた。まるで、亡き母が良い天気を用意してくれたような一日だった。
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# by amtask | 2006-12-02 00:37 | Comments(0)

バンクーバーの印象的な花

バンクーバーから日本に戻って約1ヶ月が経とうとしている。今頃バンクーバーはダークシーズン、紅葉した楓も散り、花も少なくなってしまう季節なのだろう。バンクーバーはダークシーズン以外は、色々な花が咲くきれいな街だ。日本にも同じような花はあるが、日本と違うのは、木が大きいこと、花が長持ちすることだ。
バンクーバーには桜や薔薇など華やかで美しい花がたくさんあるが、私にとって印象的な花が3つある。1つは、カナダ移住を心に決めた2001年4月のバンクーバー滞在で出会った石楠花、2つ目は今年の春、バンクーバーでその美しさに初めて気付いたマグノリア、3つ目は夏から秋まで咲き続ける逞しい紫陽花だ。

石楠花は、日本でもたまに見かけるが、バンクーバーの石楠花は、木が大きく花もたくさんついていて見事だ。
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マグノリア(木蓮)は、日本だと桜が終わる頃、ひっそりと庭の隅に咲いているイメージだが、バンクーバーのマグノリアは見上げるほど大きな木なので、花がよく見えないほどだ。つぼみがとても可憐な感じ。
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紫陽花は、日本では梅雨時だけに咲くと思われているが、バンクーバーでは私が行った7月初旬は満開だった。乾燥した真夏が来ると花の時期は終わるのかと思いきや、秋になっても咲き続けている。しかも枯れた花はドライフラワーとなっても、元気な花と共に堂々と咲いている。10月末にバンクーバーを離れる時にも、数は少なくなったものの、まだまだ元気な紫陽花が花の少ない街に彩を添えていた。(右下の紫陽花はビロード状になったドライフラワー)
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# by amtask | 2006-11-25 21:33 | Comments(2)

ひとり言 11月22日 過ぎたるは及ばざるがごとし

私のホームペーの中の「ひとり言」はパソコンの環境により、しばらく更新できません。そこで、ブログ「風のたよりfrom バンクーバー」上に載せることにしました。テーマが、バンクーバーから外れることもありますが、ご覧戴ければ幸いです。


2007年から団塊世代の大量定年が始まる。そのまま仕事に留まる人もいるが、ボランティア活動を始める人も多いだろう。ボランティアは善意で困った人を助けたい、自分が元気なうちに役に立ちたいという精神で、より良い社会には不可欠なものだと思う。でも、何事も行過ぎれば、弊害が出てくるのは、ボランティア活動にもいえることだ。

まず日本語教師として、私自身がボランティア活動のなかで感じたこと。
私が以前日本語教師として、ある日本語学校に所属していた。その団体は、Feeを取って、日本語を教えていたが、週1回ボランティア活動として、学習中の外国人のための日本語のFree Talkingの場を設けていた。時々、私もその活動に参加していた。そして、顔見知りになった中国人の女医さんが、Free Talkingの時間の後で、色々な書類の書き方などを尋ねてくるようになった。そんなある日、彼女は私に定期的な日本語の個別指導を私に頼んできた。自分が役に立てばと思い、その申し出を引き受けそうになったが、定期的に教えることはできないと断った。その理由は、私が所属している団体は営利目的の学校であり、その関連で知り合った生徒と定期的な取り決めをする場合は、学校を通さなければならないと思ったからだ。その当時から、日本語教師になりたい中高年は多く、無償でもよいから、という人も多かった。それは、ボランティアというより自分自身のために、裕福な人にも無償で教えてしまうことになる。結局、それが日本語学校の経営を危うくしている遠因にもなっている。

次は、最近、親しい友人から聞いた話。
彼女の夫、A氏は証券会社を退職後、地域のボランティア団体に所属した。 そして地域の人達の希望で、現役時代の経験を生かし、投資セミナーの講師をするようになった。
退職後しばらく落ち込んでいたA氏は自信を取り戻し、生き生きとした表情で講座の講師を務めた。受講生の多くは、夫の退職金の運用や老後資金の資産運用などを学びに来る中年の女性が多かった。その中の一人B子さんは、夫を数年前に亡くし、輸入雑貨店を経営していた。そしてA氏とB子さんは、九州の同じ町の出身だったことがわかり、他の受講生にない親しみを感じるようになった。
A氏は、1人で頑張っているB子さんの助けになればと思い、店の経営の相談にものることになった。彼はその「仕事」にやりがいを感じたようで、その店に頻繁に出入りするようになった。その結果、狭い地域の活動の中で、ジワジワと噂が広がっていった。
ふとした弾みで噂を耳にした友人は、夫であるA氏から事のいきさつを尋ねた。そして友人は次のように解釈したという。「A氏は家の中の書斎という物理的な居場所があったが、自分を必要としてくれる居場所が欲しかった。まだ仕事をしたいという願望も有った。それをB子さんの店に見つけたのかもしれない。」
私は友人の話を聞いて、「男の居場所」について考えてみた。多くの退職者と同じように、A氏の場合も、「男の居場所」が欲しかったのだろう。「男の居場所」とは何か?それは居酒屋やスポーツクラブのような遊びの場所ではなく、自分の能力が発揮できる仕事場ではないかと思う。A氏はB子さんの店に行けば、自分の能力の発揮できるだけでなく、同郷の気心知れた女性が、先生として崇めて、頼ってくれる。退職後の中高年の男性にとっては、まさに理想の「居場所」だったに違いない。それで足繁く通い、あることないことが噂になってしまった。過ぎた親切は、色々な憶測を生むのが常なのだ。これから団塊世代の大量定年が来年から始まる。このような退職したばかりの、まだ能力も気力もある中年が、ボランティア活動をすれば、このような意外な問題が起きることが予測できる。

私の所属していた日本語学校も、2007年以降、有能な団塊世代の先生がボランティア活動を始めたら経営が難しくなるのではと、少し心配している。日本語を教えることを生活の糧にしている日本語教師の足を引っ張ってはならない。これは他の業種にも言えることだが、ただや安過ぎるFeeで、労力や技術を売ってはいけないこともあるのだ。
友人の夫の場合、自分の能力を発揮したい、人の役に立ちたいと思っていた時、B子さんに頼られた。そして偶々彼女が独身だった。傍から見れば親切すぎる友人の夫の活動が、余分な憶測を生むのは目にみえている。もし、A氏が足繁く通う本当の理由が「男の居場所」だけだったとしても、このような噂は時に、友人の家庭に思わぬ波紋を投げかける。またB子さんの商売にも悪影響を及ぼす事も考えられる。
最近友人の夫A氏は、あの善意と努力は何だったのか、と意外な成り行きに驚き、すっかり人付き合いに自信を無くしてしまったという。

行過ぎたボランティア活動や過度の善意は、人のためではなく、自分の自己満足のためだというのは、言い過ぎだろうか。
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# by amtask | 2006-11-23 11:39 | ◎ ひとり言 | Comments(2)

週末の楽しみーヤードセール

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バンクーバーに住む楽しみの一つに、ヤードセールがある。
バンクーバーでは、お天気の良い週末、引越しや帰国する人達が、不用品を自分の家のまえに並べて、ヤードセールを開く。洋服・かばん・家庭用品・食器・本などが並ぶ。週末の散歩で、ヤードセールをのぞき、必要で良いものに出会うと、とても嬉しくなる。その確率はとても低いが、とにかく破格の値段で手に入るからだ。
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ある秋の日、散歩の途中で寄ったヤードセールで、シンプルなコーヒーカップに出会った。引っ越してきた日に、スーパーで買った安物のマグカップに飽きて、良いのがあればと、コーヒーカップを探していた時だった。即座にそのカップを買うことにした。
おじさんたちが、楽しげに談笑しながら愛犬と共に「店番」をしていた。そのコーヒーカップは、そんなに安物ではないが、カップとソーサーの数が揃っていない。でもカップ4+ソーサー2の6ピースで1.5ドル、全部売れたって、いくらになるのだろう。手間と時間を考えれば、棄ててしまいたくなるほどの値段だ。

でも愛着のあるものを棄てられない気持はよくわかる。
私自身、今年の1月、親の世帯をたたむため、まだまだ使える不用品の山と格闘していた。使ってくれる人がいれば、寄付したいと思ったが、時間切れになってしまった。
そして泣く泣く「もったいない」という気持を抱きながら、ゴミとして出したり、時には有料で引き取ってもらった。カナダの人たちも、「もったいない」という気持でセールをするのだろうか。それも単に「もったいない」という気持だけでなく、自分が好きで選んだ道具や食器を持ち続けることはできなくなっても、大事に使ってくれる人に渡したいと願うのだろうか。

そのコーヒーカップ4個とソーサーを、きれいな紙に包んで袋に入れ、手渡しながら、おじさんは、「やさしく持って行ってね」と云った。このおじさんたちは、もっと高価なコーヒーカップを買ったのだろうか、それとも今より狭い家に移るのか、私は知らない。でも愛着のあるものを、引き継いでくれる人が現れたと思ったのか、おじさんの表情はとても嬉しそうに見えた。
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# by amtask | 2006-11-14 22:57 | Comments(7)

ひとり言 11月10日 クレジットヒストリー

私のホームペーの中の「ひとり言」はパソコンの環境により、しばらく更新できません。そこで、ブログ「風のたよりfrom バンクーバー」上に載せることにしました。テーマが、バンクーバーから外れることもありますが、ご覧戴ければ幸いです。

移住とロングステイでは、同じ3ヶ月を暮らすのでも、生活費、特に住宅費・食費などに大きな違いがある。そんなことは、事前にある程度予想できたが、実際に暮してみると、大小さまざまな意外な発見があった。まず、その1つに「クレジットヒストリー」がある。

入居するアパートが家具なしだったので、寝具や食器などを買いにデパートに行った。どのデパートのレジでも「会員カードは?」と訊かれるので、そのカードを持つメリットを尋ねた。そのカードがあれば、ほとんどのものが、10%割り引きになるという。即座にそのカードを申し込んだところ、答えは、まだそのカードを発行することはできないというものだった。他のデパートからも「クレジットヒストリー」を理由に断られた。その要件は、現地銀行のクレジットカード(日本のカードはクレジットヒストリーには役にたたない)を持ち、6ヶ月クレジットカードを利用し、滞りなく返済されていることだった。いわゆる私の場合、「クレジットヒストリー」の期間が満たされていなかった。申込当時、現地の銀行のクレジットカードは発行されたばかりで、利用期間は1ヶ月もなかった。クレジットカードを作ってもらうこと自体も大変なことらしいが、永住カード保有者であること、生活費を纏めて銀行に持ち込んだので、楽に発行してもらえた。

「クレジットヒストリー」という言葉は聞いたことがあるが、金融機関からお金を借りる時に必要なものぐらいに思っていた。まさか、デパートの会員カードを発行してもらうのに「クレジットヒストリー」が必要だとは思わなかった。「クレジットヒストリー」を築くには、現金決済ではなく、カードを利用し、毎月きちんと返済して行くという積み重ねが必要だ。現金を持ち歩かないという習慣が背景になっているからだと思うが、お金についての常識は、日本と随分違うようだ。

日本では昔、借金するのはよくないことという概念があった。今でこそ、カードで決済することは借金という感じも持たないが、現実にはカード破産も多いと聞いている。だからローンやカードで買い物するのは止めた方が良い、と思っている日本人は今でも多い。
カナダもアメリカも、カードだけでなく小切手でも個人が決済できる社会だ。地元の人を見ると、小額のもの以外はカード(クレジットカード・銀行のキャッシュカード)で決済している。カードで決済できない店には、“Cash only”とか“5ドル以上はカードOK”という張り紙がしてある。
それは、現金を持ち歩かなくて済むという利便性と引き換えに、小切手が落ちる日、カードで使用した金額が銀行から引き落とされる日に預金残高が不足していないように、チェックする必要がある。要はお金について、常に自己管理が必要だということになる。
それで長い時間をかけてようやく「クレジットヒストリー」が築けるのだ。

クレジットカードは、日本では買い物に便利、ポイントがたまるというメリットで考えられているが、カナダでは身分証明書の役割も果たしている。自動車の免許書き換えの時も、IDカードの1つとしてクレジットカードの提示を求められた。
カナダにおいて、プラスチック製の1枚の小さなクレジットカードは、その人の経済的な信用を表す大切な証明書なのだ。日本ではカード持たずとも、問題なく生活できるが、カナダでは、それがなくては生きていけないほど重要なカードだということを思い知らされた。

〔お知らせ〕バンクーバー滞在中に、イカロス出版社の取材を受け、それが本に載りました。
1、「羅針」2006秋号ーイカロス出版ー 
世界いち 住みやすい街バンクーバーに暮らすー私達がバンクーバーで暮らす理由(P-76)
2、「カナダでロングステイ」ーイカロス出版ー
わたしたちのロングステイ・ストーリー(P-40~47)

私たちの場合、永住権ビザを持って、移住者としてバンクーバーに暮らしているので、他のロングステイヤーの方達とは少し違う立場・状況にありますが、海外暮らしの1つパターンとして、この本や雑誌に取り上げられたのだと思います。1回の滞在が同じ3ヶ月のバンクーバー滞在でも、人によって、さまざまな暮し方・楽しみ方があるのが、この本を読めば理解できます。
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# by amtask | 2006-11-10 12:03 | ◎ ひとり言 | Comments(2)

季節の移ろいー夕陽

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8月に移ったアパートの窓から海が見える。夕陽もきれい見える。海に沈む夕陽と、雲が織り成す光景は毎日見ても見飽きない。気が付いたらほとんど毎日、夕陽の写真を撮っていた。1枚1枚の写真を見ただけでは分からないが、連続して見ていくと、季節の移ろいが感じられる。8月初旬の日没は夜9時過ぎ、10月末は、夕方6時半頃だった。
写真は、8月3日から10月24日までの夕陽・夕焼けを、アパートの窓から撮ったものだ。それを時系列で並べてスライドショウに挑戦してみた(ここをクリック)夕陽の沈む位置が、建物の右から左へと移って行くのがわかる。また夕陽が沈む位置だけでなく、光の色や強さ、周りの雲の色などにも変化が見られる。秋は日が短く、陽が沈むと、あっという間に周囲は紺色のベールに包まれてしまう。
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# by amtask | 2006-11-05 14:31 | Comments(6)

ところ変ればルールも変るー公共の乗り物

最近、バンクーバーの友人からこんな話を聞いた。
日本から来たばかりの若い日本人旅行者が、帰国する日本人から公共交通機関の1ゾーン有効の定期券を譲り受けた。それで、2ゾーンの料金が必要なシーバスに乗ってしまった。シーバスを降りたこところで、検札を受け175ドルの罰金を科されてしまった。彼女は、1ゾーンと2ゾーンの差額1ドルを、乗船前に払う必要があったが、それを知らなかった。
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たしかにバンクーバの公共交通システムは、日本と大分違う。私も慣れるまでしばらく時間がかかった。次のようなことが、日本と大きく違うところだ。
①券売機はあるのに改札口がない
まず、券売機で切符は売っているのに、改札口がない。行き先を券売機に表示された地図で見て料金を調べ、切符を買い、電車に乗る。改札口は、乗る駅にも降りる駅にもない。いわゆる自己申請で料金を払い電車に乗ることなる。
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②ゾーン制
ゾーンマップを見ると、色分けがしてあり、その境界1つ超えると、同じゾーン内であれば1ゾーン、1つ超えれば2ゾーン、2つ超えると3ゾーンになる。料金を払ったゾーン中であれば、バスもスカイトレインもシーバス(フェリー)も1枚の切符で乗れる。しかし、隣の駅まで行くのでも、境界をまたいでいれば、2ゾーンになる。日本のように、必ずしも距離と比例するわけではない。シーバスに乗るには、それだけで2ゾーンの料金が必要になる。
また、夜6時半以降、土・日・祭日は、すべて一律1ゾーンの料金で乗ることができる。
③有効時間内なら乗り放題
切符を買うと、時刻が記されていて、その時間から90分有効だ。時間内であれば、そのゾーン内であれば、1枚の切符で電車・バス・シーバスの3つの乗り物が乗り放題、目的地で用事が済み、時間内であれば同じ切符で帰ってこられる。
④無賃乗車や不足運賃には、厳しい罰金
改札口がないので、切符がなくても電車に乗ることはできる。たまに車内に検札が来るらしいが、もし運悪く検札に遭遇してしまったら、車内清算はできない。手持ちの切符で乗り越すときは、乗る前に駅の券売機で追加料金を払わなければならない。とにかく、充分な切符を持っていなければ、ペナルティーが課される。言い訳はできない。
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カナダのこのシステムを知って、まず非常にシンプルにできていると思った。ゾーン制には、隣の駅まで乗るだけで2ゾーンになる等の不合理性も感じるが、それは最初からルールだと割り切って考えるしかない。検札はあるが改札口はない、車内には車掌も運転手もいない、思いっきり人件費を切り詰めている。

また、この簡素化・合理化のためには、どうしても乗客の性善説に期待するしかない。経費の節減・合理化は結局、乗客の利便性・経済性にも役立っているはずだ。「この合理化は、乗客の利益のためでもあります。乗客の皆様を信じるので、裏切らないで下さい。」と会社側は言いたいはずだ。その代わり、それを裏切った時には、多額の罰金を科している。「一度は信じてあげたのだから、破った時は恐いですよ」と言っているような多額な罰金だ。
また冒頭の若い日本旅行者の話を聞いて、ルールを知ることの重要性を実感した。彼は、シーバスには2ゾーンの料金が必要だということ、1ゾーンの切符で乗るには1ドルの追加料金を乗船前に払うというルールを、知らなかった。ルールを知らなかったから悪気はなく、許されても良いのでは、という日本的な考えもあるが、旅行者といえども、ここではルールは知らなければならない。「知らなかった」という言訳はこちらでは通らないのだ。若い日本人旅行者にとって、175ドルは大金だと思うが、欧米社会の性善説とその厳しさ、ルールを知り、守ることの大切さを学べれば、良い体験だったかもしれない。
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# by amtask | 2006-11-03 10:22 | Comments(0)

バンクーバーのハローウィン

今年もハローウィンが近づいてきた。最近、ハローウィンは日本でも少づつ馴染んできたようだが、まだ商店街のイベントのような感じがする。ハローウィンはどんな意味があるのだろう。その由来を調べてみると、
「古いケルトの習俗をキリスト教文化に取り入れたお祭りで、本来は聖夜の意味だ。秋の収穫を祝い、悪い自然霊や魔女などを追い出す祭りである。イギリスでは10月31日の夜、カボチャをくりぬいて提灯をつくり、藁人形やムギの穂でいろいろな動物を作ったりする、また、仮面や仮装して行列し、広場のたき火の周りで歌ったり踊ったりし、最後に人形を燃やす。
ウェールズの若者は女性に変装して村中を歩き、子供たちも加わり、御馳走を食べたり、お菓子をもらったりする。現在、キリスト教では11月1日は万聖節であり、ハローウィンは前夜祭になる。」
私は、ハワイで、ハローウィンの飾りつけやパレードを見た。カラカウア通りを練り歩く行列に、30分の積りが3時間も加わってしまった。日本では横浜の山手まで見に行ったが、商店街のお祭りのようだった。バンクーバーのハローウィンは初めてなので、近所の家々を見て回った。宗教的な意味があるためか、ハローウィンの飾り付けをしてある家は、そう多くはない。

10月に入ると、八百屋さんや、スーパーの店先に、大きさも形も色も、様々なかぼちゃが並んだ。
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かぼちゃをユーモラスな人の顔に見立て、ただ並べただけの家もある。
コンドミニアムの前庭の木にかぼちゃの顔をぶら下げたものもあった。
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ところが、骸骨や鬼の顔を飾ったもの、くもの巣を張り巡らしたものなどもあり、ちょっと不気味。
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当日着る、衣装の売れ行きも上々だとか、どんなハローウィンになるのだろう。
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# by amtask | 2006-10-26 16:35 | Comments(4)

秋本番

学校からの帰り道、ウエストエンドの並木道をゆっくり歩くのが好きだ。誰からもせかされることもなく、好きなだけ立ち止まって、木を見たり、落ち葉を踏む音を聞いたりする。
燃えるような紅葉は、桜の季節とはまた違った華やかさがある。桜は散った後、木は瑞々しい緑の葉に被われるが、紅葉は散ったあと、何も残らない。
もうすぐバンクーバーのダークシーズンがやってくる。その前のほんの少しの間、炎が燃え栄えるような楓の紅葉を見ることができる。

10月16日、今日は月曜日、きのうは一日中雨だった。雨上がりの今日、楓の紅葉は華やかさを増し、落ちた葉は道を彩る。でも紅葉は楓だけでない。大通りを少し入ったところに、枝の先だけ赤くなった木を見つけた。
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10月17日 晴れて穏やかな日、黄色だけでなく、赤や緑の木もあり、本当に賑やかだ。
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10月19日 昨日も雨模様。今朝も冷たい雨が降っていたが、帰りは雨上がりの風景が楽しめた。道路も落ち葉も無残にぬれて、踏んでもカサカサと乾いた音を立てなくなった。
それでも落ち葉は重なり合って、精一杯華やかに道を黄色に染めていた。一日ごとに楓の紅葉は、微妙に色合いを変える。
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# by amtask | 2006-10-21 04:17 | Comments(2)