お正月も過ぎて

2018年が明けて、もうすぐ半月が経ってしまいます。この年の初めの半月の間、私は何をしたのでしょう。新年会2回、Art Class 2回、ダンスクラス2回、英語の会話クラブ1回、参加しました。

新年会は、お馴染みの友人11人が郊外の友人宅に集まり、新年を祝いました。外は雨でしたが、部屋の中は和気藹々の雰囲気とポットラックの美味しいご馳走で、楽しいひと時を過ごすことができました。因みに。私のその日に持参したポットラックは、紅茶豚と紅茶卵。枝豆でした。

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数日後は、恒例の日本人・退職者の会の新年会に出席。会員は約180名いるのですが、その日は約80人の会員が集まりました。年一度の総会のあとが新年会です。80人も会員が集まると、お顔は知っていても名前が思い出せなかったり、全く知らない新会員の方もいらっしゃるのですが、久しぶりにお会いした会員の方との会話も楽しく、あっという間に閉会の時間になってしまいました。ご馳走は仕出し屋さんのお弁当、見た目も豪華で、食べきれないほどのボリューム、充分お正月料理を味わうことができました。

会の後半はポリネシアフラダンスのデモンストレーションや、会員も参加して賑やかな新年会になりました。

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Art class 12日から始まりました。日本と違い、カナダでは12日から平日なのですが、流石12日のArt classに来た人は数人だけでしたが、第二週からは、10人ほどの会員が集まり、賑やかになりました。私は2Art classに行ったのですが、34か月も描くことから遠ざかっていた為か、新年になっても、何を描くか決められず、2回とも鉛筆と画用紙を持って人物のスケッチを練習しただけ。でも他の人たちが熱心にキャンバスに向かっているのを見て、良い刺激を受けてきました。


ダンスのクラブに通い始めて約2年が経ちますが、参加者のすべてが顔見知り、インストラクターは居ないのですが、私にとっては殆どが先輩の方です。初日は予想通り参加者が少なく、諦めて帰ろうかと思っていたところに大先輩の男性が現れて、数曲指導して下さいました。年末年始は、多くの人が旅行に行ったり、母国に戻ったりするので、驚くほど人が少なくなることがあるのです。

もう1回参加したのは、インストラクター付の教室、友人に誘われて。昨年秋から数回参加しています。2人のインストラクターから、約20人の参加者がステップを学びます、男性と女性の参加者の比は約10人づつ、時間と共にパートナーは変わっていくので、パートナーを連れて行く必要はありません。音楽♪に合わせて踊るより、ステップの踏み方を学ぶ時間が多いと、、ちょっと飽きてくることもあります。


YMCAEnglish Conversation clubは、バンクーバーに戻った後の初めての参加。10年来のメキシコの友人は旅行中、やはり人も少なくちょっと淋しい雰囲気でした。広い2つの部屋にいくつかのテーブルが置かれ、1つのテーブルに1人のボランティア(英語のNative)が座って、参加者数人が加わり、1時間半会話を楽しむのですが、私のテーブルのボランティアは若いカナディアンの男性。そこに顔見知りのイラン人の女性が加わり、その日の話題、今年の新年はどんな風に祝ったのか?今年のResolutionは何か?を話し合いました。

Resolutionという言葉、英語では、解決・解析という意味ですが、この場合のResolutionは、フランス語の抱負・決意という意味で、新年の挨拶代わりに“What is your resolution for new year?「今年の抱負は?」という風に使われるのです。普段の生活に関連した身近な事を、答えればよいということを、以前通った、近くの公民館の英語クラブで、教えて貰いました。公民館の英語の先生は、その年のResolution は「好物のチョコレートを食べ過ぎないこと。エクササイズに励むこと」でした。そんなことを思い出し、私のResolutionは「もっと遊ぶこと」「2日に1度のエクササイズを引き続き続けること」と答えました。

実はこのYMCAの英会話クラブ、その日は雨の夜だったし、3か月も欠席していたので、英語を聞く耳も鈍り、話す言葉も直ぐには出てこないだろうと、行くことを躊躇しましたが、思い切って行ってきました。10年英語圏に暮らしても、私にとって英語はやはり難しい言語なのです。


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# by amtask | 2018-01-15 04:28 | Comments(6)

2018年のお正月 

明けましておめでとうございます。

今年のお正月は、ポラーベアスイム〈北極熊の水泳大会〉で始まりました。このイベントは、毎年元日にイングリッシュベイで行われる水泳大会。私はバンクーバーに移住して以来、毎年欠かさず見に行っています。ここバンクーバーでお正月といえば、元日だけ、翌日の2日は通常通りの平日になってしまいます。また近くに神社も御寺もないので、初詣に行く感じでこの水泳大会を見に行き、元気をもらってくるのです。

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今年のポラーベアスイム、数十年カナダに住んでいても、まだこのイベントを見たことがないという友人達を誘い、イングリッシュベイに見に行きました。

バンクーバーの冬は雨が多いのですが、私がここに移住して以来、元日に雨や雪が降ったことはありません。今年の元日も良く晴れて暖かい日、その前後の日は曇りや霧が出たのに、本当に不思議です。

水泳大会のスタートは230分。私達は2時に現地に着き、帰りの集合場所だけ決めてそれぞれ好きな場所で見ることにしました。私はいつものように波打ち際まで行き、まじかに見ることにしました。

水泳大会は、始まるとすぐ終わってしまいます。なぜなら多くの人が、足の先が水に触れただけで、すぐ引き返してくるからです。それでも、いくつかのグループが走って海に入り、大騒ぎして戻ってくる姿がおかしくて、見ている人も自然に笑顔になるのです。時間は短いのですが、見るだけでも、気持ちが明るく元気がもらえそうな気がするのです。

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私達はイベントが終わった後、再び集合し、道路に登り海岸を見下ろしました。こんなに多くの人が集まっていたのかと驚くほどの人の波。

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そんな光景を見ながら足取りも軽く、家路につきました。家の戻った後は、小宴会を開くことになっていたのです。

家についても、まだ4時頃、お茶して一息ついてから、小宴会を開く準備をしました、と言っても並べるだけでしたが。

何気なくまだ明るさが残っている空を見ると、大きなスーパームーンが輝いていました。

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前日の大晦日、私は久しぶりに、身近にある材料でおせち料理を作りました。おせち料理を作るなんて何年振りでしょう。ここに移住して以来、毎年招くより招かれることが多く、楽した代わりに、作り方はすっかり忘れていました。シンプルな紅白なますでさえ、ネットで調べてようやく作ったのです。そんな訳で、大したご馳走ではないけれど、一応おせちらしいものを重箱に詰めて、テーブルに並べました。それと友人の方々の持ち寄りの料理で、お正月らしいご馳走と雰囲気を味わうことができました。

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お喋りに花を咲かせ、カードゲームを興じたあと、そろそろ友人達が帰宅の準備をしていたのが夜11時少し前。突然けたたましいFire Alarm の音が響き渡りました。私達がこのアパートに移って、このけたたましい音を聞くのは3回目、今回も空振りのAlarmかも、と一瞬思ったのですが、コートを着てバッグを持って、階段で外に出ました。友人達は帰り支度がちょうど終わったところだったので、階段を駈け下りていきました。私達は部屋を見回り、忘れ物がない事を確認したので、少し出遅れたのですが、非常階段を降りる人達と一緒に一階まで降りました。我が家は15階なのですが、6~7階を通過する時に、焦げ臭い匂いがしました。本当に火事だったようです。それでも火を見ていないので、それ程怖いと思いませんでした。ようやく1階のロビーに辿りつくと、大勢の人たちが建物の外に出て上を見上げていました。

私達はしばらく部屋に戻れそうにないので、友人達を駅まで送っていくことにしました。昼間は晴れていたのに、外は霧か煙で霞み、沢山の消防自動車のライトがやたらに明るくて異様な光景になっていました。

友人達を駅で見送り、アパートの前に戻っても建物の中に入れず、暫く外で待たされました。それでも11時半には建物の中に入ることができたのですが、階段で15階まで登らなくてはなりません。ロビーも階段も水浸しでしたが、6階を過ぎると全く濡れていなかったので、出火は5~6階だったのでしょう。

部屋にもどり、窓の下を見ると、消防自動車や救急車の赤い光が、未だ周囲の道路を照らしていました。

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楽しいお正月を過ごし、快い疲れを感じて、就寝するような時間の突然のアラーム!今回、大事に至らずに済みましたが、非常事態はいつ起きるかわかりません。また避難する時は、エレベーターは使えないのです。今回は15階を階段で降りて、帰りは階段で登りました。何気なく毎日エレベーターを使っていますが、自分の足を鍛えておかねば、非常時には生き延びられないでしょう。また、自分の足で上り下りできないほどの高層階に住むのは、危険なこと。以前住んでいたアパートの部屋は10階、今は15階、次に移り住むとしたら、きっと、低層階を選ぶ必要があると思います。

元日の夜の火事騒ぎ、私達に大きな教訓を残してくれた出来事でした。


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# by amtask | 2018-01-05 04:25 | Comments(6)

バンクーバー 年末の風景

12月も20日過ぎると、もう街はすっかりクリスマスの雰囲気。一通りのイベントが終わり、予定がない午後、買物のついでにお散歩に行きました。バンクーバーの冬はダークシーズン、晴れた日はとても貴重なのです。

まず、コールハーバーの海沿いの道を東に向かい、カナダプレイスに行って見ました。日本から戻って、コールハーバーの海沿いの道を歩くのは、その日が初めてということに気付き、自分でもちょっとびっくり。

その日はお天気も良く、海を見ながらの散歩は気持ちよく、目的地のカナダプレイスは、クリスマス飾り付けがなされていました。

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トレイルを歩くと、まずクリスマスツリーの行列。数年前来た時も、同じようなツリーが並んでいるのを見ました。きっと毎年同じように飾られているのでしょう。

平日の午後という事で、まだそれほど人は多くなく、時々旅行者が記念写真を撮っているぐらいでした。

トレイルの端まで行って見ると、シーバスの発着所が近くあるので、ノースバンクーバーに向かうシーバスが見えました。

トレイルを戻る時、遠くに雪山が見えました。見慣れた山も違う方角から見るので、全く違う景色を見ることができました。

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そして、海面を見下ろすと、渡り鳥でしょうか、黒い鳥の集団が、水上飛行機の直ぐ近くを泳いでいるのが見えました。

どうも主導役の鳥がいるようで、沢山の鳥たちが、それに従っているようように見えました。その鳥の集団の回りでは、白い鴎も飛び交っていました。

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帰り道は少し近道をして、アパート近くのスーパーで買い物をして家に戻りました。たった10分ぐらいの道のりなのに、家に着いた時はかなり暗くなっていました。


翌日も良いお天気、バンクーバーで連続でお天気の日は珍しいのです。前日は東方向、その日は、西方のイングリッシュベイに行ってみました。途中3年前まで住んでいた地域に、大きくて高いクレーンが立っているのが見えたので、行って見ると、大開発の工事が始まり、凄いことになっていました。

以前買い物に行ったSafeway(スーパーマーケット)や酒屋さんなどは、全部取り壊され、朝早くから夕方まで大騒音に包まれる一帯になっていたのです。今ごろ未だこの近く住んでいたら、きっとすごい騒音に悩まされていたでしょう。

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近くの行き慣れたマーケットで買物が終わると既に4時、日が傾き始める頃です。海岸に出てみると、オレンジ色の太陽が半分沈み、人々は夕陽を浴びて散歩を楽しんでいます。イヌイットの像の足元では、今にも太陽が沈もうとしていました。

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3年前までは、毎年冬日本から戻ると、一番先にこの大きな木にイルミネーションが灯されているのを見に行ったのですが、最近は少し遠くなってしまったので、久しぶり見るイルミネーションでした。その日もカラフルなイルミネーションが輝いてましたが、まだ薄明るいので、光は目立ちません。その代わり、懐かしいイングリッシュベイの夕陽が見らてれて、大満足の気分で家路につきました.

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# by amtask | 2017-12-30 07:23 | Comments(4)

今日はクリスマス

早いもので今日はもうクリスマス。私がバンクーバーに戻ってから、1か月近くも経ってしまいました。またいつものことですが、「私は一体何をしていたの」「どんな1か月月だったのでしょう」と思い返してみると、

1か月の半月以上を費やしたのが、米国税理士という資格を維持するための継続研修を、インターネットの通信教育で受講。その研修も昨日終了し、今ようやくほっと一息ついたところです。毎年今頃の時期に、同じようなことを繰り返しているので、もっと早くスタートすればよいのにと、毎年思うのですが・・・。

そんな1か月でしたが、季節は晩秋から冬へと向かい、1月の初旬は霧が出て白い闇に閉ざされた日が続きました。波止場に停泊している船の汽笛がボーッと聞こえ、ここは港町だったと実感。またある朝は、雲が景色の下半分を覆い何も見えません。

またある日は雨が急に雪に変わり、降り始めてから1時間の経たないうちに、外の景色は雪景色に変わりました。

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バンクーバーの冬はダークシーズン。ある朝、用事で早朝の街へ。時間は7時前なのに、薄暗く夜のよう。クリスマスイルミネーションが暗い中で輝いていました。

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12月も半ばになると、イベントも増えて急に気ぜわしくなります。

ある日曜日、友人の家で総勢約10人が集い忘年会。3時から夜10時までという長丁場。でも美味しくて楽しい時間はあっという間に過ぎて、家に戻ると寝るだけという一日。気心知れた友人と過ごす時間は、私にとって忙しさの中のオアシスでした。

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その週は、今年最後の集まりなので、ポットラックなどが、3日連続でありました。友人との忘年会の翌日は、ダンスの会のポットラック、時間がなくて小さなお握りを作っていきました。お寿司だと思って、「美味しい」とわざわざ言いに来てくたダンスの先生にお握りとお寿司の違いを説明したのですが、理解してくれたかな?

3日目はArt classのポットラック、その日も時間がなくて果物を持って行ったのですが、人気があるのはやはり手作りの食べ物。美味しい料理を作ってきてくれたのはイランから移民してきた人達。イランの料理は結構おいしいのです。日本人のMさんは、お寿司のようなライスサラダを作ってきました。

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その日が今年の最終日、絵を描くより食べることに忙しいパーティーでした。突然降った大雪でその日、欠席しようと思ったけど、Mさんからの「もう皆来てきているわよ」という電話で、急いで駆け付けたポットラックでした。

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4日目は、ポットラックではなく、ホテルの中にある中華レストランで、友人7人で会食。夜7時スタートということもあり、広い店内はガラガラでしたが、久しぶりの中華料理は美味しかったです。でも広すぎるテーブルも淋しいもの。賑やかに食べるのが、中華料理には似合うのでは、と思いました。

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これで、クリスマス前のイベントは終わり、後は家で年末のお掃除などして、部屋の隅に、昨年バザーで買ったサンタのお人形や、赤い花(アンセリウムを飾ってみました。

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# by amtask | 2017-12-26 17:23 | Comments(4)

バンクーバーに戻り1週間が経ちました

11月末、2か月留守にしたバンクーバーに戻りました。戻った日は雨、その後雨は3日ほど降り続くというダークシーズンの真っ只中。その雨も、私達がバンクーバーに戻るかなり前から降り続いていたようです。

成田を発つ日の夕方、真っ赤な夕日が沈むのを空港から見ましたが、すべてがグレーのバンクーバーはまるで別世界。

窓に降りかかる雨の滴の向こうは灰色の世界。そんな日が数日続いた夕方、雨は少し止み、海が見渡せました。

港で何かイベントがあったようで、暗い海をプレジャーボートが一列になっての行進、舟の灯りが数珠のように光ってきれいでした。    

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翌日はようやく晴れて、山は粉砂糖を振りかけたように白く覆われていました。そして次の日も晴れ、その代わり外は気温が下がり、冬の到来を実感じました。そして日が暮れると空には満月が輝き、スーパームーンということで、月はことさら大きく、トランプビルのイルミネーションと競っているようでした。

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そんな日が数日続き、日光に当たって時差ボケからも抜け出たと思ったら、ここ2~3日、朝起きると窓の外は、霧に覆われて白い闇の世界に❕ 思わず窓ガラスを手で擦ってみても、何も見えないほど。

お天気はこんな風に変わるのですが、1週間経って、ようやく私の生活にバンクーバーの日常が戻ってきました。

活動開始1日目は、久しぶりに参加したダンスクラス。12月は多忙な人が多いようで広い会場は人影もまばら。私の練習には良い環境、先輩の人たちに沢山教えもらえたからです。

たった1時間体を動かしただけなのに、夕方家に戻ったら、猛烈な睡魔に襲われて、いつの間にか仮眠状態。そしてその夜は珍しく早く就寝したのに、朝まで爆睡。お蔭で翌朝はすっきり目覚めて、時差呆けは一挙に解消しました。

翌日は、Art Class に行き、久々に懐かしいメンバーに遭ったり、お菓子を食べたり喋ったり。その合間に新しい絵の下絵に取り掛かりましたが、長い空白の時間の為か思うように描けません。

活動開始3日目は、友人のアパートで水彩画のレッスン。いつもの3人が集まり、久しぶりにお茶しながらお喋りに花が咲き、絵を描く時間は減ってしまいました。でも香港出身の水彩画の大先輩の日本旅行体験談は、とても興味深いものでした。彼女は、今回の私の日本行きとすれ違いで、初めて日本に旅行したのです。


バンクーバーは今のところ平和で穏やかですが、最近のニュースで、カリフォルニア州の山火事が報じられています。広範囲に山火事は燃え続け、沢山の人々が家を焼かれて避難を余儀なくされ、折角避難したところまで火が燃え広がり、大変なことになっているのです。

北米では、夏の山火事は日常的に起きていますが、冬の山火事は余り聞いたことがありません。気温は低いものの完走して風が強いようで、まだ燃え続けています。そのためでしょうか、最近。スーパーや八百屋さんに並ぶ果物の値上がりが凄いのです。

これ以上、山火事が長く続くようだと、ワインも不作、果物だけでなくお米などの食品の値段が更に跳ね上がってしまうでしょう。日本のみならず、世界中で異常気象、食物の不作が心配です。

今年もあと3週間を残すだけ。時間を大切にと思ってみても、時間は飛ぶように過ぎていく2017年の12月です。


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# by amtask | 2017-12-08 17:40 | Comments(4)

備忘録 イタリア旅行ーその8

イタリア旅行―雑感

今回のイタリアへの旅行で、初めてイタリアの地に足を踏み入れました。趣味として絵を始めてから、ベネチアのゴンドラの写真を見る度に、行って見たいと思うようになったのが、きっかけです。今回の日本滞在中にようやく実現したのですが、旅行から戻り、写真を見ても、撮ってきた写真が何なのかさっぱり思い出せませんでした。
ようやく後付けで知識を仕入れ、自分が回ってみたものが何だったか突き止めるのに、時間がかかりました。特にフィレンツェの建築物、2つの大きな美術館、ローマの遺跡などで余りにも見るべきものが多すぎて、記憶も曖昧になってしまいました。
イタリアでも、私の行きたいところは、ベネチアとフィレンツェでしたが、添乗員付きのパック旅行に参加した結果、ミラノとローマも回ることになりました。でもミラノもローマも
新旧のイタリアを見るためには欠かせない重要な都市、回れて良かったと思います。
事前に少しでも知識を仕入れておけばよかった、そして世界史ももう少し勉強してあれば、ガイドさんの説明ももっと興味深く聴くことができたのに、ちょっと反省しました。

細かいことですが、気が付いたことか書き留めてみます。
ホテル事情―4つのホテルに泊まったが、アメリカ系のホテルに比べて、不便なことが多かったです。グレードの高いホテルはもう少し良いかもしれませんが。
1、ベッドのサイズが小さい、特に幅が狭いのは、どのホテルにも共通していたこと、
2、コーヒーメーカーがない。部屋に戻ると暖かい飲み物が飲めない。私は旅行湯沸かし器を持って行ったので、カップラーメンは食べられたが、カップがないので、プラスティックのペラペラの歯磨き用のカップでお茶を飲んだ。
3、冷蔵庫は小さいながら備わっていた。
4、浴槽がないホテルが2つ、他の2つのホテルにバスタブはあったが、ローマの連泊したホテルに栓がなかった。私達のグループ全員の部屋になかったそう。お湯をバスタブに満たす部屋が多いと、お湯が足りなくらから(特に日本人の場合)。
5、トイレにウォシュレットはないが、普通に便器の他にビデ用の便器があった。その使い方は不明。
6、フリーWiFiは、4つのホテルのうち、2つが使えるはずだったが、実質1つのホテルしか使えなかった。
7、部屋にセフティーボックがついているホテルは1つだけ。それも故障しているようだった。私は連泊するホテルで、フロントのセフティーボックスに預けた。

街に出た時
8、トイレ事情。外出した時に、トイレを使う時に、有料のトイレが多かった。
大体1-0.5ユーロ。無料で使えるのは、飲食店・デパート・お土産やさんなど。トイレ探しは日本に比べて難しい。
9、物価は、日本人にとって現在の為替レート(1ユーロ約133円)を考えるとかなり高く、ベネチアは特に高いと感じた。パスタの価格が10~18ユーロ・ビール7ユーロ・水3~4ユーロなどで、2人でパスタと飲み物を頼むと、40~50ユーロかかる。
ミラノなど北の方の都市は、野菜果物の価格が高そうで、出された食事に野菜・果物は殆ど含まれていなかった。どこでも比較的安いと思ったのは、ワイン。
スーパーのレシートを見ると、消費税は内税のようで、料率は不明。
10、食事のコースは、前菜としてパスタ・ピザ・リゾットなどが出され、メインとして
肉・魚など。最後にデザート。コーヒーは、エスプレッソ・カプティーノ・アメリカーナなどあるが、小さなカップに濃いコーヒーが主流。街には、たまにマックはあるが、スタバは全くなかった。
11、公共の乗り物
バンクーバーと似ているのは、切符を使い始めて90分とか100分と、時間内なら自由に何(バスや地下鉄)でも乗れるので、間違えて乗っても、乗り換えれば良いので気楽に乗れる。切符は事前に購入する必要がある。価格はおおよそ1.5ユーロだった。
切符はタバッキ(煙草やさん)というキヨスクのようなところで売っている。
12、スリに注意、
特にローマの人が集まるテルミニ駅・トレビの泉、などは訓練されたスリが、隙のある人を狙っているとのこと。幸いにも私は狙われなかった。
旅行開始前に、ガイドさんから電話があり、大事なバッグはたすきがけにするようにと
厳重な注意がなされたほど。
13、ホテルの部屋のトイレ
一番怖かったこと フィレンツェのホテルで、バスルームのドアが開かなくなった。朝、出発間際に、用を足しバスルームから出ようとしてドアを開けようとしたがあかない!ドアは閉めたが鍵をかけた覚えはないのに。浴室に窓もドアと床の間に隙間もない。パニックになって、ドアを叩き、「開けて開けて❕」と叫んで、部屋にいる夫に知らせたが、外からは開かないようだ。集合時間にも遅れるし、フロントに知らせて人を呼ぶように頼んだ。ようやく夫が人を呼びに行って、帰ってきたところ、いろいろ不安定になっているドアのノブをいじっていたら、何かのはずみで開いた。もし、一人で泊っていたら、掃除の人が来るまで、発見されないでしょう。本当に怖かった。
ガイドさんにその話をすると、彼女は一人で泊っているので、決してバスルームのドアは閉めない、と言っていた。

もし再び、イタリアを訪ねるとしたら。
  今回の旅行は日本語も英語も通じないイタリア。現地に詳しい同行者も友人も居ないので、添乗員付きのパック旅行を選んだ。特に混雑する美術館やメジャーな観光地巡りする場合、初めて現地を訪れる個人は、目的地に着き目的のものを見るまで、膨大な時間がかかることが多い。効率的に観光地を回るのは、案内する人が必要。なので、今回は添乗員さん付のツアーで正解だったと思う。食事をするのも、同じツアーのメンバーとの会話もあり、情報交換もできて良かった。
リピーターとして、気に入った観光地巡りする場合は、自由旅行の方がいいかもしれない。そして、サンジャミニャーノのような、こじんまりとした趣のある町をゆっくり見て回りたい。

またこの長い備忘録に付き合って下さった方、「どうも有難うございました。」


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# by amtask | 2017-11-23 12:58 | Comments(2)

備忘録 イタリア旅行ーその7

イタリア旅行 6日目(ローマ)

ローマ2日目は、全日自由行動。目覚まし時計もモーニングコールもなく、自然に目覚めたのが830分。

朝食の時間は7時~10時、急いで身支度し、朝ご飯を食べに食堂に行くと、グループのメンバーは誰も居なくて、私達だけ。朝食をたっぷりとって、部屋にもどり、出かける準備をしてホテルを出たのが11時。

昨夜下見に行ったバス停までいき、バスに乗り終点の地下鉄の駅に着きました。そこで地下鉄に乗り替え、テルミニ駅へ。(★参照)    

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そこから地図を見ながらフォロロマーナ(Foro Romano)に向かいました。ゆっくり街並みを見ながらと思っていましたが、ローマ市内の道は複雑で、何人の人に道を尋ねたことか!

ようやくコロッセオーColosseum(★参照)とフォロロマーナーForoRomana(★参照)の近くに辿りつきました。コロッセオとフォロロマーナ の入場券は共通なので、空いているフォロロマーナで切符を買う方が時間の節約になると聞いていたのですが、フォロロマーナの窓口に行って見ると、予約した人だけしか切符を買うことができません。仕方なくコロッセオに戻り、切符を買う人の長蛇の列の最後部を探していると、見知らぬおじさんが「小グループの一員になれば、すぐ入場できるよ」と言いに来ました。一応身分証明書のようなカードを身に着けているし、「いくら?」と聞くと130ユーロだという。もうその頃は歩き疲れ、切符を買うために時間以上並ぶ元気もなく、中を見るのは諦めようかと思っていたところだったので、その話に乗る事にしました。

2人分60ユーロを払うと、丸い小さな赤いシールを、胸に張ってくれただけ。ちょっと不安になって「領収証は?」と聞くと、すぐ切符を渡すから大丈夫と言われました。周囲には同じような丸いシールを胸に張った人が数人いたので、ちょっと安心。間もなく、別のおじさんが入場券を渡してくれました。彼らの後をついていくと、切符を買う長蛇の列を横切ってすぐに入場ができました。セフティチェックを受け、中に入ると、やはり外から見るコロッセオとは感じが違います。

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即席の小グループのメンバーを見ると、中国や中南米や色々な国から来ている観光客のようです。コロッセオの中では、私達即席小グループの為のガイドさんの説明があり、その後一時解散、各自内部を見て40分後に再び出口で集合という事になりました。コロッセオの中はかなり広いので、時間に遅れないように、見たいところを急いで見なくてはなりません。

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40分後に出口で待っていると、女性のガイドさんが待機していて、フォロロマ-ナを案内してくれました。ガイドさんの説明は英語でしたが、説明時間の45分、何も見ないで淀みなく説明していました。

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パラティーノの丘の上から、今見てきたコロッセオや凱旋門が見下ろせます。

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パラティーノはフォロ・ロマーノの隣にある小高い丘で、ここの展望所からはフォロロマーノのほぼ全域が見渡せ、絶好の展望ポイントになっています。特徴のある木は松の木だそうです。

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フェロロマーノが見えました。歴代ローマ皇帝の宮殿や貴族が暮らしていた高級住宅があった場所。現在もその名残りを留めているとか。

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ガイドさんの説明が終わって解散した後、閉園のアナウスがありました。閉園の時間は日没の1時間前なのです。秋の日没は日に日に早くなるので、私達は良いタイミングでColosseumに入場できたようです。(切符の価格は12ユーロなので、30ユーロは高いと思いましたが、並ぶ時間が短縮でき、ガイドさんの説明付だったことを考えると、それ程高くないと思いました。それにしても世界中からの観光客が集まるローマの遺跡、いつも混んでいるようです。

結局ColosseumForo Romanoをすべて回り、4時過ぎに帰路に着きました。テルミニ駅まで来て、だんだん暗くなったので、早くホテルに戻ろうという事になり、昼間に来たルートで、テルミニ駅から地下鉄―市バスに乗りホッとした次の瞬間、降りる駅の名前を憶えていないことに気が付きました。覚えていたのは、バス停の周辺の景色と、バスに乗った時間が20分ぐらいというだけ。でも、目を凝らしてすっかり暗くなった景色を見つめていると、「ここだ」というバス停にバスは停まり、扉が開き数人の人が降りました。私達も転げるようにバスを降りた時は、心からほっとした瞬間でした。

前日の夜、実際にバス停まで偵察に行ったことは、とても役に立ちました。夜のバス停の周辺の景色を見ていたからです。ガイドさんの提案に感謝です。

ホテルについて、夕食をとるため、ホテルのダイニングに行きました。メニューも英語ではないのですが、分からない部分はウェイターさんが、電子辞書を持ってきて、メニューの説明をしてくれました。註文したのは鮭の前菜・肉料理のメイン・サラダでした。それに赤ワイン。サラダは、大皿に野菜。ポテト・ツナなどが沢山盛られ、ドレッシングは❓というと、オリーブオイルとバルサコミス酢の大瓶が出され、自分で調合して食べるというものでした。特に美味しいわけでも、安くもない食事でしたが、安心して食べられて、よかったです。

これであとは、帰国の準備をして寝るだけ。明日の今頃は、きっと日本行きの飛行機の中で寝ていることでしょう。


【参照】

★コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)

イタリアの首都ローマの中心部にある、古代ローマ帝国時代の巨大な円形闘技場の遺構。周囲527m、高さ48.5m、5万人を収容する巨大施設で、ウェスパシアヌス帝(9~79年)治世下の西暦75年、皇帝ネロ(37~68年)の黄金宮殿の建設が始まった。4階建てになっていて、1階はドーリア式、2階はイオニア式、3階はコリント式のアーチのある構造物で構成されている。競技場の地下6mの迷路のような空間がむき出しになっている。ここからライオンやヒョウなどの猛獣を闘技場に送り出す昇降機が設けられ、大観衆の中で剣闘士と猛獣の戦いが繰り広げられた。地震による倒壊、また中世に石切場として利用されたため、現在のような状態で残されている。(講談社)

「コロッセオが崩れる時、ローマが滅びる」といわれるほど、ローマを象徴しているものなのです。

旅行から戻り、コロッセオについての記事を丁寧に読むと、次のようなことが書かれていました。旅行中、実際のコロッセオを見ても、巨大な遺跡としてしか見ていなかったのですが、血なまぐさい残酷な場所だったのです。何となく、サッカーなどのスポーツが行われる競技場というイメージを持っていたのですが、その目的はもっと残酷で深い意味があったのです。色々ネットで読んだ説明をまとめると次のようなことがわかりました。

「それまでの小闘技場は1万人しか収容できなかったのが、この競技場は5万人収容できる。(ちなみに東京ドームはイベント時で5万5千人、野球の試合では4万人)

ではその闘技場で何が行われていたかというと、剣闘士の戦い・模擬海賊・剣闘士と猛獣・猛獣同志・犯罪人処刑で、観客は金持ち富豪や市民、がそれを娯楽として見ていた。

時の為政者の目的は、市民たちの不満を解消し、政府に歯向かわないように、時の皇帝の権威を誇示するためだった。

当然、今はコロッセオでの剣闘士の試合は行われていない。」


★フェロ・ロマーナ(Foro Romana):

フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けた。(ウィキペディア)


★パラティーノの丘〈 Palatino 〉

フォロ・ロマーノの隣にある小高い丘で、ここの展望所からはフォロロマーノのほぼ全域が見渡せ、絶好の展望ポイントになっています。

ここは高級住宅地で、共和制時代や帝政ローマ時代には貴族や皇帝の邸宅がこの丘に建てられてました。現在は遺跡としてこれらの邸宅の跡を見学することができます。


★テルミニ駅(Stazione di Roma Termini)

ローマの玄関口ともいうべきターミナル駅、テルミニ駅 (Stazione Termini) はイタリアで一番大きな駅であり、乗り入れ路線数、1日の乗降客数ともにイタリア1位です。ヨーロッパレベルでもとパリ北駅に続き2位です。

テルミニ駅はいつ行っても人でごった返していますが、ショッピング、お茶、休憩と一箇所でいろいろ体験でき、クリスマスやイースターなどの祝祭日で地元の商店、飲食店、タバコ屋等が閉まっている場合でも、テルミニ駅に来れば通常通り営業しているので、利用価値はとても高いです。

なお、駅構内と周辺は悪名高いスリや置き引きの仕事場となっていますので、自分の周りに充分注意をはらいましょう!自分の半径1m以内に人が近づいてきたらすぐに離れ、警戒して下さい。

中央駅はイタリア国内、国外行きの鉄道、地下鉄(全線)、空港行きの直通電車及びプルマン、市バス、トラム、タクシーの発着所となっています。構内は地下1階、1階、中2階に分かれており、ショッピングセンター、レストラン、カフェ、スーパーマーケット、銀行、薬局、郵便局、トイレ、ATM、警察、ホテル予約窓口、レンタカー会社などが入っています。


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# by amtask | 2017-11-21 23:03

備忘録 イタリア旅行ーその6

イタリア旅行―5日目の午後(ローマへ)
サンジャミニャーノからの4時間半のドライブの後、ローマに着いたのは遅いお昼時、その日のメニューは、焼きたてのピザ。私達はマルゲリータと、スパイシーなピザの2種類を選びました。
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その後はローマ市内観光、最初はバチカン美術館。
★バチカン美術館(伊:Monumenti, Musei e Gallerie Pontificie/英:Pontifical Monuments, Museums and Galleries)
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バチカン美術館 は、バチカン市国にあり、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館である。日本語では「ヴァチカン美術館」、「ヴァティカン美術館」などとも表記する。
500年以上の歴史をもつバチカン美術館は、新旧さまざまな美術館の複合体であり、イタリア語の館名は単数形のMuseoではなくMuseiと複数形になっている。古代(ギリシャ・ローマ)彫刻、エジプト美術、エトルリア美術、現代キリスト教美術などの専門美術館のほか、ミケランジェロの絵画で知られるシスティーナ礼拝堂、バチカン図書館、中世の教皇庁の建物の一部(「ボルジア家の間」、「ニコラウス5世の礼拝堂」、「ラファエロの間」などを含む)も見学コースに含まれ、これらを総称して「バチカン美術館」と称している。キリスト教美術のみならず、古代ギリシャなどの異教の美術や、世界各地の民族美術なども幅広く収集展示されている。(Wikipediaより)
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★システィーナ礼拝堂(伊: Cappella Sistina)も見学しましたが、撮影禁止で写真はとれません。
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂。サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文(Photo)が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。(Wikipediaより)

その後コロッセオは車窓から見るだけ、その日の最後の訪問地はトレビの泉・スペイン広場でしたが、交通渋滞の為、外の景色はすっかり日が暮れて真っ暗。その中でトレビの泉にコインを投げてきました。

★トレビの泉( Fontana di Trevi)
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トレビのいずみは、ローマにある最も巨大なバロック時代の人工の泉(噴水)である。ローマでも有数の観光名所として賑わっている。
ポーリ宮殿(Palazzo Poli)の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥーヌス(ポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレース(デーメーテール)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されている。これら池全体の造作はニコラ・サルヴィ (Nicola Salvi) の原案でピエトロ・ブラッチ (Pietro Bracci) が制作した。(Wikipediaより)

投げ方は水際を背に右手にコインを持ち、左肩越しにコインを泉に投げるのですが、混んでいて人をかき分け、水際に行くのが大変でした。バスの中でガイドさんが、「決してトレビの泉の傍で、財布からお金を取り出さないように」と注意があったので、投げるコインはしっかりとポケットにしまいました。
コインは1つ投げると、またローマに来ることができる、2つ投げるのと良い相手に恵まれる、3つは上手く別れられる、というらしいですが、新婚カップルが2組いたので、3つ目の説明をガイドさんは省略しました。

★スペイン広場(Piazza di Spagna)
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スペイン広場は、ローマ市内でも一番賑わっているところだとか。ここには変わった形の船の噴水があり、映画「ローマの休日」で有名になったスペイン階段、階段の上にあるフランス教会・教会の前のオベリスク・広場の前からのびるショッピングストリートがあったり、この広場がこの地域の中心的な存在になっているようです。観光客だけでなく。地元に人々にも親しまれている場所なのだそうです。

その日泊まるホテルに着いたのはすでに夜、ホテルはローマ市内から離れた住宅街にあるので、翌日の足を確保するための方法を考えなくてはなりません。何故なら翌日は終日自由行動なので、自分で目的地まで行かなければならないからです。

親切なガイドさんは、皆から市バスのチケットの注文をとり、買いに行って下さり、そしてホテル近くのバス停まで、案内してくれたのです。


翌日は一日中自由行動、ロ―マ市内に行きコロッセオを見る予定を立て、久しぶりモーニングコール無し、時間を気にせず、ベッドに潜りこみました。


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# by amtask | 2017-11-20 13:48

備忘録 イタリア旅行⁻その5

イタリア旅行 5日目(サンジャミニャーノ)

朝早くカレンツァーノを出発しバスは、1時間半のドライブの後、サンジャミニャーノ( SanGimignanoに着きました。

この街についての説明は↓

サン・ジミニャーノ(イタリア語: San Gimignano)は人口約8千人のイタリア共和国トスカーナ州のコムーネの一つである。

美しい塔が立ち並んでいることでよく知られている。この町並みが1990年にサン・ジミニャーノ歴史地区としてユネスコの世界遺産に登録された。

数々の塔は都市内での権力争いの名残りであり、最も力と富を持つ者が最も高い塔を建てた。また、中世に自治都市として最も繁栄していた時代には、塔を壊すときには新しい塔を建てなければならない法律が整備されていたこともあった。

最も多いときには70を超える塔が建っていたが、多くは取り壊され、現在残っているのは14のみである。また近代、現在の市街地はこの地区から数km離れたところにあり、塔を建てる習慣は残っていない。町の名はこの地で没したサン・ジミニャーノから。(Wikipedia)

バスがこの街に着いたのが、845分。

バスを降りた私達は、坂道を登り小高い丘の上からオリーブ畑や葡萄畑を見下ろすと、朝の柔らかい光の下で時間が停まったような静かな畑の景色が広がっていました。

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もう少し歩を進めると、坂・階段・坂道の路地など、起伏のある街に出ました。

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塔の街といわれるだけあって、塔に囲まれた広場もありました。しかし早朝なのと滞在時間のために、塔に登ることもできませんでした。

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朝早くて殆どの店がまだ開かれず、時は止まったままのよう。いつもは野菜、肉、魚、はちみつなどの食料品から、洋服、生活雑貨、電気製品などが売られているそうです。もう少し賑やかな時間に来れば、また違った印象を受けるだと思います。

私達が歩いた通りはサン・マッテオ通り。ハム屋、ワイン屋、コーヒー屋、お土産屋さんがずらりと並んでいます。絵を売るお店も2軒ありました。飾られている絵はこの街の風景などが多かったようです。

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そう言えば、チステルナ広場にあるジェラート屋が日本の雑誌に紹介された店としてありますが、私達もそのジェラート食べてみました。とても美味しく、これがイタリアのジェラートと思いました。今までジェラート食べたことがなかったのです。その後、ローマでも食べましたが、ここのジェラートの方が私の好みでした。

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たった1時間の滞在の後、サンジャミニャーノに心を残し、駐車場への坂を下りる途中で見たぶどう畑の景色がとてもきれいでした。

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短い滞在時間でしたが、とても印象に残る街サンジャミニャーノを後にして、私達は最後の目的地ローマへ向かったのです。


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# by amtask | 2017-11-20 00:34

備忘録 イタリア旅行 その4

イタリア旅行 4日目ー(フィレンツェ・続き)

遅めの昼食のあとは自由行動、レストランを出たところで解散になりました。夜7時半に再び集合してバスでホテルに戻ることになっていたのですが、私達は日曜日の混雑する街中で5時間を過ごすより、早めに市バスに乗って帰ることを選択。それに今まで、すべての移動は旅行社が用意してくれたバスだったので、公共のバスにも乗ってみたかったのです。

解散した時間は2時過ぎ、市バスの停留所まで、川沿いに歩いてみました。

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週末の日曜日ということもあり、大勢の人が河の周囲で寛いだり歩いたりしていました。

バスの停留所の近くまで行くと、大きな鉄道の駅があったり、すぐ傍の広場では野外コンサートが開かれていたり、地元の人々の暮らしを垣間見ることができました。

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ツアーガイドさんに教えられた通り、2番のバス停留所に着きました。ガイドさんから車内でも料金が払えると聞いていたので、切符を持っていなかったのが、ちょっと気がかりで、行列の前に並んでいる若い女性に尋ねました。やはり切符を買っておくことが必要だったようです。近くに居た人が切符を買う場所を教えてくれましたが、そこにバスが来てしまいました。私達が切符を持っていないことを知ったおばさんが、私に小さい紙片を渡してくれました。近くにいた人にこれは何か?と尋ねると、「4回分の回数券」と教えてくれました。切符を渡してくれたおばさんに、お金を払おうとして、探しましたが、見つかりません。せめてお礼を言いたかったのに・・・。

こうして私達は回数券を手にして、他の乗客と共にバスに乗り込みました。ほっとする間もなく、私達が泊まっているホテルの近くのバス停で降りられるかどうかが、心配になってきました。

30分を過ぎる頃、周囲の景色を見ながら、それらしきバス停で降りると、大正解。ここまではよかったのですが、ホテルの近くの大きなスーパ―マーケットの寄って外に出ると、真っ赤の夕焼け。その夕焼けに見とれているうちに、暗くなってきて道が分からなってしまったのです。

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クルマだけがビュンビュン飛ぶように走る道で、道を尋ねたくても人が見当たりません。

ようやく駐車していた車に乗り込もうとしていたおじさんに、私達が泊まるホテルの場所を尋ねると、方向を教えてくれたついでに、「クルマに載せていってあげるよ」とも言ってくれました。私達は2人なので大丈夫とお断りしました。でも気持ちは、親切な人たちのお蔭でぽかぽか暖かく、無事にホテルに戻ることができました。

それにしてもイタリアの人々、何て親切なのでしょう。見知らぬ東洋人の旅行者に4枚つづりの回数券を与えてしまうなんて

私はこの回数券を、旅の記念として大事にしようと思います。渡してくれたおばさんの顔は忘れてしまいましたが。

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その日の夕飯は、マーケットで買ったワイン・プロシュート(生ハムの一種)・ミニトマト・ホテルの近所のバーガーキングで買ったハンバーガーで済ませました。

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そして早くホテルに戻れたお蔭で、ゆっくりお風呂に入って寝ることができました。フィレンツェの名所旧跡を充分見ないうちに帰ってきてしまいましたが、イタリアの人々の親切に触れることができて、とても幸せな気持ちになれた夜でした。


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# by amtask | 2017-11-19 22:10